《室生寺》
室生は古代から水神の聖地として知られ、今も竜穴や竜穴神社などにその面影をとどめているが奈良時代には皇族の病気平癒祈願が行われ、こうしたことから八世記の末期、興福寺の僧 賢憬(けいえい)が勅命を奉じて、国家のために建立したのが室生寺である。賢憬は奈良時代末期の光明な学僧であったが、その後を継いだ修円も、空海や最澄と並ぶほど顕教で、密教を兼ね備えた傑僧であったとされる。
室生寺の基礎はほぼ修円の時代に固められた。だが、一説には、室生寺は天武天皇の勅願によって役行者が開き空海が再興したと伝えているが、こうした伝承は、幽邃(ゆうすい)な環境のために密教的な色彩の強くなったこの寺が、次第に真言宗に傾くとともに、その宗祖空海と深い係りがあったと説えられたためで、空海の開いた高野山が、密教の道場として厳しく女人を禁制したのに対し、室生寺は女人の済度をはかって登山を許したので『女人高野』と呼ばれるようになった。
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《室生寺の美しき》『女人高野室生寺』
「この、たおやかにも懐かしい寺の名前を人々は長い年月、尊崇と敬愛の念を持って呼び続けてきた。室生寺といえば、
まず思い浮かぶのは、金堂や五重塔への坂の両脇に咲くやさしい薄紅色の石楠花の花である。室生寺と石楠花ほど
馴染みふかく、しかも寺と花のバランスのよい組み合わせはめったにあるものではない。風土と調和して、時間をか
けて、こんにちの景観を作ってきたのであろう。」
『古都巡礼奈良6室生寺(2009)綱代智等、河野裕子 淡交社』
の河野裕子の言葉を抜粋。