• 本堂
  • 金堂
  • 五重塔
  • 仁王門
  • 鎧坂
  • 七重石塔
  • 奥之院
  • 太鼓橋
  • 拝殿
  • 弁財天
  • 弥勒堂
  • 護摩堂

本堂

金堂からさらに石段を登ると本堂がある。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂、或いは灌頂堂と言い延慶元年(1308)の建立。五間四方入母屋造りの大きな建築で、和様と大仏様の折衷様式を示す。金堂を出てさらに石段を登ると、やや広い潅頂堂の平地に出る。堂に向って左手に禁足の如意山の円い峯が見え、樹間には石楠花が多く、ここも静寂の境である。

本堂

金堂

「平安初期につくられた当時は、屋根も今のように〝流れ〞がつかず、堂姿も簡素であり、正面から 上ったらしい。…入口は側面にあって、正面は勾欄がまわしてある。」 ここでは、室生寺に安置される国宝 十一面観世 音菩薩像、国宝釈迦如来立像が置かれる。鎧坂を登りきると、小さな平地に出る。その正面の一段高い石積壇上に南面しているのが金堂(国宝)である。

金堂

五重塔

室生寺地域に伝わる竜神伝説 
宇陀市の女人高野「室生寺」の五重塔は、創始者である修円と弘法大師との間に勅命によって祈雨競いがあったとき、修円が飴を降らす竜神を自分の水瓶に封じ込んでいたため弘法の祈りが利かなかった―
―その水瓶が今の塔上の宝瓶だというのである。
この言い伝えを青の光を使って龍を表現することで今に龍神を蘇らせた。
潅頂堂(本堂)向かって左脇の石段を登ると、五重塔が上方からしだいに姿を現してくる。緑の木立に囲まれて丹塗りの小型な塔が全容を現すのは、狭い塔の広場に登りつめてからである。

五重塔

仁王門

太鼓橋を渡り参道を川に沿って進むと入山受付に到着し、さらに進むと朱塗りの仁王門が姿を見せる。朱の門には、赤と青の仁王像がたち誇る。
燃え盛る紅葉の炎のなかに立つ仁王像。これから室生寺の神聖な域に足を踏み入れることを知らせるかのように。

仁王門

鎧坂

仁王門をくぐると左にバン字池があり、その先には自然石積の幅広い急な石段が現れ、その70段の石段は鎧坂という。また、少し上に弁才天社があり、室町時代の春日造の小さな祠である。左手の自然石積みの幅広い急な石段は「鎧坂」と呼はばれ、その両脇には石楠花や木々の枝が迫っている。登りですと石段の頂きに金堂の屋根がみえる。室生寺の序章ともいえる美しい景観である。

鎧坂

七重石塔

奥之院にひっそりと建つ七重の石塔は、境内の中でもひときわ小さい。
御影堂の傍らに、諸仏出現岩いわれる熔岩の凝縮したいわ場あり、その頂上に七重石塔が建つ。塔身や屋根が不揃いであるが、当初材は平安時代に遡り得るものである。

奥の院 七重塔

奥之院

五重塔の脇を通って高い石段を登り切ると奥之院。弘法大師を祀る御影堂は大師堂とも言い、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上の宝珠と露盤は優品である。
各地にある大師堂の中でも最古級の堂。石段を720段登りきると奥之院がある。奥之院には鎌倉時代建立の御影堂(重文)、位牌堂、納骨堂、納経所がある。

奥の院

門前に連なる茶店や旅館を過ぎると、清流に朱塗りの反り橋が架かっている。太鼓橋と呼ばれるこの橋をわたると室生寺の境内である。

橋

拝殿

鎧坂を上りつめて右側に入母屋造檜皮葺の拝殿がある。
後方は開け放ちになっており、この拝殿は龍穴神を遙拝するためであるが、この後方に天神社が鎮守する。
毎年10月には龍穴神社の秋祭り(龍神祭り)が行われ、龍をかたどった作り物、みこしや室生神楽保存会による獅子舞がここから龍穴神社に練る。神仏習合のお祭りでこれに参加すると男子は元服、大人の第一歩となる。

拝殿

弁財天

鎧坂の中腹、左側に、一間神明造朱塗の弁天社が鎮守する。
もとは前方のバン字池にまつられていた。当社には身丈五寸の弁財天女像をまつり、弘法大師の勧請と伝えられる。
毎月3日には弁天供が行われている。

弁財天

弥勒堂

金堂の前の平地の左手に東面している建物が弥勒堂(重文)である。
金堂前庭の左手にある三間四方のこの堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える鎌倉時代の建築、元は南向きであったのを室町時代に東向きとし、江戸初期にも改造されている。内部の四本柱の中に須弥壇を置き、厨子入りの弥勒像を安置する。

弥勒堂

護摩堂

太鼓橋のてっぺんにのぼると護摩堂の門構えが見える。この門構えは、中の紅葉に彩られる。また、ここでは不動明王坐像を中心にして五大明王像を安置する。別に鎌倉時代の作と思われる不動明王立像もまつられている。毎月28日には護摩祈祷の法要が行われている。

護摩堂